この二つの法案は、実は以前から様々に議論が繰り返されてきたものであり、今国会でそのどちらもが提出されたというのは因縁めいたものを感じなくもない。どちらもが国民生活に大きな影響を与える可能性があり、その成立状況によっては日本の将来を形作る上で大切な法律となるものだということでは共通している。ただし、どちらの法律が国民のためのものであり、片やそうではないかという解釈は個人によって異なるだろう。
このうち、教育基本法の改正案については、与野党からそれぞれの改正案が提出され、また日程的にも審議が大詰めを迎えるに至って、ようやく本格的なメディアによる報道が始まった。メディアの足の遅さは今に始まったことではないし、その報道する内容にも大きな偏りが見られるのもいつも通りだが、それにしてもその内容の低次元さにはあいた口が塞がらない思いだ。特に、「政権交代という単語」を馬鹿の一つ覚えで繰り返すだけの民主党に肩入れする一部メディアの飛躍した論理には、説得力のかけらもない。どこを指すのかは、言わなくてもお分かりだろう。
そこで今回は、この教育基本法の改正案について少々綴ることにする。
まず、おれの考えを明らかにすることからはじめて置く。
今提出されている教育基本法改正案には、政府案(与党案)と民主党案の二つがあるのだが、このどちらもが明らかな誤りであるとおれは考えている。それは、両案とも「愛国心を育てる」ことが目的であるはずの教育が、「教育を行うため」に「愛国心を持たせる」という捉え方をしているからである。つまり、「手段」と「目的」が完全に入れ替わった状態になるのだ。これでは、何のために法律を改正するのかが分からない。
おれは、ごく常識的に言う「愛国心」とは、「自分の中から勃然と湧き出る、自らが住む国を愛する心」だと思っている。そこには勿論「国を愛することを強制する」要素があってはならないし、たとえ生まれた国であってもそれを憎む人間だっているだろう。その視点から言うと、今回の法改正での正しいやり方は、「伝統と文化を大切にし、またそれらを育むことができる国を作る」という手段により、「私たちが日本を愛し、愛国心を持つ」という目的を達成できるよう、法律が方針を示すべきだった。まずは、正しいことを正しいと言える国を作る。伝統と文化を大切にし、古きを尊び新しきを育むことのできる国を作る。そうすれば、自ずから国を愛する心はついてくるものだ。
ところが今提示されている改正案には、共に「まず愛国心を教育法によって植え付ける」という姿勢が見て取れる。「愛国心を持つ」という本来目的であるべきことが、「伝統と文化を尊重する」ための手段の一つとなっているのだ。繰り返しになるが、これは政府案でも民主党案でも同じである。メディアをはじめこれらの改正案について言及している者のほとんどが問題としているのは、言葉の取捨選択や「国」という単語を入れるかどうかなどであり、本来の趣旨とは異なった言葉遊びをしているにすぎない。
強制された愛国心は、国を愛する心とは呼ばぬ。それはただの「義務」である。これでは、改正とはとても呼べない。「お前ら、まずは日本を好きになれ! そして日本の伝統と文化を守れ!」では、本末転倒と言っても全くおかしくない。政治家が国民の視点に立って物事を考えていないことが、このことからもはっきりと読み取れる。
そしてこのことに苦言を呈する以上、個人的な案ではあるが、おれ自身もこの部分に適当な文言を考えてみた。
わたしたちが誇りに思い、愛することのできる日本を作るため、国と郷土を良く知ると共に、伝統と文化を大切にする姿勢を学ぶ。併せて、他国を尊重する意識と、国際社会の平和と発展に寄与するための正しい知識を学ぶ。
参考までに、提出されている改正案へのリンクを張っておく。いずれもPDF形式なのでご注意を。できればPDF形式とテキスト形式で選択できるようにしてほしいものだ。
おれの書いた文章と、今回提出された改正案を読み比べてみて、皆さんはどのように感じるだろうか。
(参考)文部科学省 教育基本法案について(政府案)
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/houan.htm
(参考)民主党 「日本国教育基本法案(新法)」要綱(民主党案)について
http://210.253.211.2/news/200605/20060515_04kyouiku.html
※注※
民主党サイトにある改正案は、5月20日現在クリックしても404となります。内容に不備があったかそれとも他の理由かは分かりませんが、こんな状態で放っとく人間の気が知れませんな。ついでにドメインもきちんと変換されていないようだけど…。
ここまでで、少なくとも「愛国心」という言葉一つを法律の条文に載せるか載せないかを問題にすることが、大きな間違いであることはお分かりいただけると思う。または、意図して問題のすり替えをしているのであれば、他にもっと大きな問題があることを隠しているということだ。いずれにせよ、大変な問題だ。
勿論、一部のメディアや知識と良識に大きく欠ける人間、日本の教育を空洞化させてきた教員の集団などが、この「愛国心」という言葉を忌み嫌っているのは知っている。彼らは日本という国が嫌いであり、日本に住むメリットのみを享受しつつ支那や半島に忠誠を誓う人間なので、法律で「日本を愛しなさい」とされることにはいい感じを受けないだろう。だからといって「愛国心という言葉が法律に載ったら即戦争になる」「軍靴の音が聞こえる」などと、根拠もなく飛躍した話を持ち出して騒ぎたてるのは、卑劣だと言える。人間としても道を間違えている。
分かりにくいのであれば、具体的に挙げてみよう。
たとえば、ある私立の学園があったとする。ところが今年になって、理事長が校則に「この学園を愛し、他の学校と切磋琢磨し、共に成長する態度を養う」という一文を追加しようとした。これ自体は何の問題もない。むしろ、生徒のためになるはずだ。
だが彼ら左巻きの連中のやっていることは、こういう学園に乗り込んで「愛校心なんて言葉を校則に入れたら、生徒たちが即座に受験戦争に巻き込まれる」「生徒の人権を蹂躙する行為だ」と騒ぎ立てているのとなんら変わりがない。もはや論理が破綻していることに気がついていないのか、それとも見てみぬ振りをしているのかのどちらかだろう。
しかし、この愛国心の問題は、言葉を追加するのしないのというよりももっと大きな問題がある。そこを見落としてはならない。
日本は、長い歴史と伝統を持ち、優れた文化を生み出し続けてきた国である。だが近世になり、それらを蔑ろにするかのような西洋的価値観がはびこり、国民の心からは日本的な文化、歴史に対する愛着が薄れつつある。それが指摘されたのは最近ではなく、西洋文明と邂逅してから常に言われ続けたことだ。
だが、今教育法を改正することで、愛国心を無理に押し付けるのは筋違いだ。よりよい国、よりよい文化を作り出し、さらにそれを優れたものにすべく努力を続けていくことで、自然と人々の心には愛国心が生まれるものだ。このことを理解せずただ法律の文面に「愛国心」と書き込んだところで、愛国心が生まれてくるとは思えない。努力の方向、教育をどんな方向に向けていくかを決めるのが今回の教育基本法の改正であるとするのであれば、こと「愛国心」の問題に限っては、立法が見ている方角は正しくないのではないか。
まして、国の将来を左右する法案を、党利党略や支援団体への阿りを優先させようという政治家・政党には、言うべき言葉もない。
日本で最も添削される新聞、朝日新聞が、社説を使って鮮人の団体を支援したり、共謀罪に関連してプロ市民や過激派団体を擁護している駄文を書き散らしているようだ。既にいろんなところから突込みが入っていて紙面が赤ペンで真っ赤になっているころだろうが、小ブログでもそのことについては次回以降で少々取り上げてみたい。
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コメント初めてできんしょーします・・っ!